DaikiのRakugaki

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"A life is not important except in the impact it has on other lives."

仏教ー"忍耐"と"我慢"ー

社会人になり思い悩んで1年半が経とうとしている訳ではございますが、ようやく暗いトンネルから一筋の光が見えてきた、今日この頃です。

 

その一筋の光とは、「仏教」なのですが、この話は深くなるので割愛。

仏教の教えのうち、ずっと考えていることが掲題、"忍耐"vs"我慢"というテーマです。

 

仏教では、忍耐(忍辱)は六波羅蜜のひとつで良いこととされていますが、我慢は七慢と禁じられています。

確かに自分の経験でも、社会人の一番辛い時期の自分は"我慢"をして本当にしんどかったですし、例えば高校野球の練習では、忍耐という表現のほうが適したものだったと振り返ります。その違いは何なのか、言語化してみました。

 

~我慢~

耐える環境において"ネガティブな我"がある状態。

ex. 「何でが」「俺だけ頑張っている」

この状態では、現在の自分と過去のプライドだけが残っている状態なので、やらされている現状に耐える、という感覚でして、これではいつか限界を迎えてしまうのです。

 

~忍耐~

それに対して忍耐の状態は"ポジティブな我"もしくは"無我"の状態。

ex. 「この先にこの貢献がある」「これを成し遂げた先にこのインパクがある」

また、無我というのは、没頭に近い感覚なのかなと思います。他人から見たら何故そんなこと、と思うことを何も感じずに飄々と行う、というイメージか。

この状態は"今の自分"の先に"未来の自分"を描いているので、苦に苦しまず、楽しんで苦労を買っている良い循環が生まれます。

 

この感覚を踏まえて、目の前のしんどい仕事ややりたくない事、やる気のない時においては、

① まず、それを成し遂げた先の自分が得られるものを探す。

  (自分の場合はインパクトが人生の軸なので、耐えた先のインパクトを想像する)

② まず一歩目をスモールスタートで一歩踏み出す

③ 一歩を踏み出した自分に向上を実感し続ける

 

この毎日、毎週が継続のコツでもあり成し遂げる極意であり、忍耐力の根本ではないかと。そう思うのです。

引き続き何かを成し遂げられるよう頑張りますっ!