DaikiのRakugaki

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"A life is not important except in the impact it has on other lives."

守破離の守

更新が止まっておりましたが、ようやく苦しみの1年半から少しずつ開放されてきているのでその話をば。

それがこのタイトル。

この一年半ほんとにつらくて、文字通り吐くほど歯を食いしばってきましたが、辛かった事象としては、
・夜遅くまで作った資料が翌日朝に真っ赤になって返ってくる停滞感、終わりの見えない絶望感
・毎日死ぬほど頑張ってるのに終わらず、さらには期日が過ぎたことを責められるしんどさ
・できたことはスルーされ、できなかったことばかりダメ出しされるしんどさ
・自分なりに工夫した資料が全て書き換えられる無力感
・寝不足、食欲不振、睡眠障害

などでしたが、総括すると、「意図せず入った部活で死ぬほど腕立て伏せさせられてる」感覚でした。

例えば、野球部に入った際に初めにやらされる腕立て伏せ。これ単体はやりたくないものですが、「レギュラーになる。筋肉を鍛えて打球を飛ばす。仲間と乗り切る。」という絶対的な目標が根幹に合ったので乗り切れたと振り返ります。
社会人になり、今求められているのも、社会人としての腕立て伏せ。歯を食いしばって膨大な量の資料をつくって、「正確な資料作成」「齟齬のないビジネス文書作成」などの筋肉を着けて、レギュラーになってください。という上席、先輩からのしごきと今になって気付きます。

ただ、野球部のときと違うのはこの「レギュラー」の定義が人によって千差万別であること。この「仕事とは」の部分が人によって違うので、先輩が当然と思っていることが自分にとってはそう思えず、目的を見失っていました。
眼の前の仕事も当然しんどかったですが、それを乗り越えた先にある「レギュラー(自分はなにをしたいのか、仕事とは、自分はなにができるのか)」が見つからない苦しみのせいで、何度も心がどん底に落ちました。


この苦しみからの解放は2種類しかないと思っていて、
① 自分が「腕立て部」に入ったと捉える
② 自分にとってのレギュラーを見出す

このふたつだけです。
私は一年目の際に色んな先輩に仕事論を聞いてましたが、上記二択の際に、①を取る人が体感9割で、②が残り1割くらいでした。
①は「一年目は腕立て伏せをやるものだから、腕立て伏せをやる」という考え方で、一番心理的ストレスが少なく、上席からの評価もすぐに取りにいけます(有無を言わず腕立てしてくれるので)。
ただこのタイプは野球で活躍するという本質を見ずに筋トレしているので、下からは「監督に気に入られているけど、野球に必要じゃない筋肉まで付けている筋肉マン」という印象です。

②のタイプは「自分は〇〇を実現したくて、そのために今腕立てをするんだ」タイプで、先の不確定の未来を自分で決めていくため、心理的ストレスが半端ないです。ただ、ここに真摯に向き合ってきた先輩の目はギラギラしていて、なにかを変えてくれる期待感、カリスマ性を強く感じます。

私も漠然となにかを成し遂げたくて商社に入ったので、②の苦労に真正面から向き合い、ほんとにしんどかったですが、先輩にも支えられて、ようやく自分のレギュラーが見えて来て、一皮剥けたように思えます。

自分にとってのレギュラーは「impact」。
やはり自分は自分が与えられるimpactを広げていきたい(まだまだ曖昧ですが)。そのために不正確な資料を作っては信頼されないし、忍耐も必要。それが守破離の守なのかな、と思います。

長くなってしまいましたが、守破離の守の段階、つまり腕立てをやらされるときこそ、腕立ての先にあるレギュラーを見失わない、視座を保つ。そういったことを意識したいものです。